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【ひと】東京富山県人会連合会会長、魚津高校同窓会長、㈱熊谷組社友 大田弘さん

共生ともいきの心で多様性が光る時代へ/大切なものを次代につなぎ恩返し

(富山県人2024年6月号)

 

 首都圏の富山県人団体が集まる東京富山県人会連合会の12代目会長に推され、3月に就任した大田弘さん。時代が大きく変化する中、「次世代へバトンをつなぐため、良い意味で新しい形へ皆様と共に盛り上げていきたい」と語る。

 高度成長、バブル崩壊を乗り越え、企業戦士として猛烈に働いてきた。熊谷組の社長、会長を経て、2017年に退社してからは、住む人のいなくなった黒部市宇奈月町明日の実家に軸足を移し、東京と故郷の2拠点生活を送る。かつて我慢強さと協調性を重んじる田舎の閉鎖性を嫌って飛び出したが、実家の山で野良仕事をしていると、子供の頃に祖母から「庭の柿の実の1つは食べても良いが、1つは鳥に、1つは土に返す」と教わったことや、近所の神社を毎月掃除する年輩の女性の「村を守ってくれているから、当たり前」という言葉に接し、厳しい自然の中で共に力を合わせて生きてきた先人の智慧と営みに感銘を受けることしきりである。

 地元の風土記を読破し、共生ともいきという言葉を考えるようになった。昨今の自己中心的な不安定な世の中に、「利己心よりも利他心が1%でも勝らないといけない。共生ともいきの土台の上で、個々人が力を発揮できる社会を目指すべき。県人会も富山という共通点で集う人々が、多様な価値観を尊重し、豊かさの質を転換する、まさに“共生ともいき”回復の架け橋になるように」と願うものである。

 小学5年生の時に黒部川第四発電所が完成し、ダム建設にあこがれた。魚津高校生時代に映画「黒部の太陽」を見て熊谷組を目指し、北海道大学土木工学科を卒業して入社。技術者として打ち込む中、会社の経営姿勢に不安を覚えて意見していると、経営企画部に異動となり、バブル崩壊後のどん底の経営再建に奮闘。52歳で社長に抜擢された。

 「黒部の太陽」のモデルとなった故笹島信義さん(入善町出身)には公私ともに薫陶を受け、大義に生きた時代の生き様を肌身に感じてきた。「我々は経済性と引き換えに、恩義、大義といったものを置き去りにしてきたのではないか」と自戒を込めて、全国からお呼びがかかる講演依頼に現代人が忘れた大切なものを伝え続ける。「共生ともいきをつなぐことが恩義を返す最後の勤め」との心意気だ。