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【高岡】勝興寺が国宝に

(富山県人2022年11月号)

瑞龍寺以来25年ぶり、県内2件目

市内2つは北陸唯一

 

 国の文化審議会は10月12日、浄土真宗本願寺派の勝興寺(高岡市伏木古国府、土山照慎住職)の本堂と大広間・式台を国宝に指定するよう文科大臣に答申した。県内で国宝が指定されるのは瑞龍寺(同市関本町)以来25年ぶり2件目。高岡市は2つの国宝建築を有する北陸では唯一の市となる。

 本堂は1795(寛政7)年、西本願寺の阿弥陀堂をまねて建立、幅39・3㍍、奥行き37・5㍍、高さ23・5㍍で、全国屈指の規模を誇る。大広間・式台は接客の場となる「対面所」で、江戸中期以降に大型化した真宗寺院の特徴を示し、信仰拡大の拠点となった文化史的な意義も深いと評価された。約3万平方㍍の境内には12棟の重要文化財があり、うち2棟が国宝となった。

 1998(平成10)年から2021(令和3)年まで23年間にわたって、総事業費70億円をかけて「平成の大修理」が行われ、「真宗王国」を象徴する姿によみがえった。

 地元では『ふるこはん』の愛称で親しまれ、「実ならずの銀杏」「天から降った石」「水の枯れない池」「屋根を支える猿」「魔よけの柱」「雲龍の硯」「三葉の松」の七不思議も語り継がれている。

 同寺の歴史は、室町時代後期の1471(文明3)年に本願寺の八世蓮如上人が越中国礪波郡蟹谷庄土山(南砺市土山=福光)に建立した土山御坊が起源。1517(永正14)年に「勝興寺」に改称、南砺市高窪を経て1519(永正16)年に小矢部市末友に移り「安養寺御坊」と呼ばれた。その後、兵火で焼失、1584

(天正12)年に現在地に移った。再興後、加賀藩の庇護のもと壮大な伽藍が整備された。

 奈良時代の越中国府があった場所で、万葉集を編纂した大伴家持が国守として5年間在任した地でもある。