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【ひと】広島テレビ放送㈱顧問、広島大学特別招聘教授 三山秀昭さん

世界の広島から発信を続ける/オバマ大統領の広島来訪に貢献

(富山県人2024年8月号)

 

 今年春に旭日小綬章を受けた三山秀昭さん(77)(広島市)。総務省関係の伝達式で、代表して勲記・勲章を受け取った。「功績調書」には「オバマ米大統領の歴史的広島訪問の実現に尽力した」とある。

 2011年6月に広島テレビの社長に就任すると、「核なき世界」を訴えてノーベル平和賞を受賞したオバマ米国大統領の被爆地ヒロシマ訪問を、知事や市長、広島1区選出で外相だった岸田文雄(現)首相らに提言。また、広島テレビでは「オバマへの手紙」を募るプロジェクトを展開して市民の声を集め、14、15年と二度、米ホワイトハウスに赴き、広島訪問を直訴した。それは、アメリカに対する「恨みつらみ」ではなく、純粋に「平和」「核廃絶」を求める内容で、「市民は原爆投下への謝罪にこだわっていない」という被爆者、市民の心の内を説明し、米側の懸念を取り除き、大統領に広島から平和のメッセージを発信してもらえる環境にあることを伝えた。

 16年5月、現職の米国大統領として初めてオバマ大統領が平和記念公園を訪れて献花し、世界に向けてスピーチした。そして被爆者の一人と抱擁を交わした。あのシーンは世界に発信され、今も記憶されている。その相手は原爆投下で亡くなった米兵捕虜の遺族を探し出して慰霊してきた被爆者で、その存在をホワイトハウスに伝えたのも三山さんだった。

 「政府ができないことを民間でやった」と、媒介者であるメディアの枠をはるかに超えた発想と行動力。「ただ、報道するだけでなく、自ら関わって現実を動かすこともメディアの役割でしょ」と事もなげに話す。

 射水市水戸田(旧大門町)の西方寺の四男に生まれ、子供のころから本堂で時折開かれた正力松太郎代議士の国政報告会を大人に交じって聞いていた。高岡市高陵中学の卒業文集の編集過程で「ジャーナリストになりたい」と思い立った。高岡高で速記部、早稲田大法を1969年に卒業して読売新聞に入社。政治部記者、ワシントン特派員、秘書部長、政治部長、巨人軍球団代表、テレビ局役員を歴任し広島へ赴任した。

 毎年8月6日に平和記念式典が開かれる。「来年は被爆、終戦80年。広島のメディアとしてやるべきことは余りに多い」と、「書く」ことと「語る」ことにこだわり、“生涯一記者”として社会に関わり続ける。